痩せますか死にますか

自分を客観視するために書く。昔のこととかADHDの子供との生活のこととか。

自分スペースの主張、押し入れぽいぽい

唐突に押し入れに入っているモノをぽいぽいと部屋に投げ捨て始めた息子。

「え?何してるの?どうしたの?」

焦りつつも、趣味の手芸のモノなどもポイポイ投げ捨てているのでイラッと感もあり、やっぱり焦りもあり。

うちの押し入れには押し入れ収納用の本棚が置いてある。

そこには私自身の本やマンガが少しばかり入っていて、つい最近「これはもう読まないなぁ」と思うものは古本屋に売り払い処分した。

そのスペースを見て、そして息子の大好きなドラえもんを見て思いついたのだろう。

 

「ここに自分のスペースを作る!!」

 

1km先まで聞こえそうなデカイ声でそう宣言した。

時間は夜の7時頃、うーん・・・ギリギリセーフ?

 

確かにウチは狭い。2Kでキッチンをリビングとして使うことができないので

1部屋はテレビのあるリビング、1部屋の和室は布団がある寝室。

そして寝室として使っている和室に収納の押し入れから、ぽいぽいぽいぽいぽいぽいぽぽいのぽい、とモノを布団の上に投げ捨て始めたのだった。

確かに中学年にもなれば自分のスペースが欲しいだろう(男の子だし。。。と思うところもある)、机はリビングにあるので自分空間というものがないのはしんどいのだろうな。

そう理解したので、まずは「どうしたいの?」と尋ねてみた。

この押し入れの上段部分を、どうしたいの?と。

すると、空いた本棚に自分の本(マンガばかりです)を並べ、ラグ的なものを敷き、自分の空間を作ってくつろぎたいんだ!と主張した。

 

実はここのところ、タンパク質メインの食餌療法がADHDには有効ということを読んでタンパク質の割合をかなり増やした食事にしていた。

その頃から、服用しているストラテラの作用もあってあまり増加しなかった体重が増え始め、薬と体重のバランスが崩れたように感じてはいたのだ。

小児科で薬を処方してもらっているのだが、25kgになったらまたお薬のことは相談しましょうね、という話で終わっていた。

が、ここのところ、ポジティブではあるけれど他動が目立つように感じていた。

その矢先の象徴的な出来事がこの押し入れポイポイ事件であった。

 

自分がその頃、小学生だった頃のことを思い出す。

やはり狭いアパートに暮らしていて、酒好き・・・というより酒乱に近いだろうか

そんな父から隔離されるよう、夜な夜な母に近くのレンタルビデオショップに連れ出されたことが思い出された。

自分の安心できるスペースがない・・・しかも外に逃げなくてはいけない。

(たまに激昂してちゃぶ台返しをすることもあった父なので)

母は不安そうな面持ちで私の側に居てはくれたけれど、家の中でくつろげる空間は、今思えば私が小学生の頃にはなかった。

 

それを思い出した上に息子はADHD、自分の世界・ルールを遵守したいアスペルガー要素も強く表れ始めた。

そんな息子には机以外のスペースを与えてることを許可することにした。

 

突然のちょっとした・・・いや、結構大がかりな押し入れの模様替えを承諾し、それは開始された。

私の大事にしている本もぽいぽいと布団の上に投げ捨てられ、趣味のものも投げ捨てられたが

「人の気持ちを想像することが難しい」

という性質を思い出せば怒らずに息子の主張を考慮した上で承諾できた。

 

ただ、いかんせん狭い我が家で、貧しい生活のため収納する場所や道具が限られている。

私のものはどんどんと押し入れの外へ追いやられていった。

・・・少し悲しかったが、自分のスペースを欲しがることも成長の一つなのかな、と思い私は息子に交換条件を出した。

 

「ママは君のスペース作りに協力します。」

まず、興奮している息子に宣言をする。

自分の主張が認められたことで少し落ち着きを取り戻した息子に、私は続けた。

「ママは君にこのスペースを作ることを認めます。そしてそのスペース作りに協力します。」

「うん。」

「その代わり、交換条件を出します。」

「何?」

「ママも頑張って協力してスペース作りと片付けをするので、君も何か頑張ってください。」

「何をすればいいの?」

「そうだね、じゃあ漢字の勉強を1時間(学校の1コマ45分単位)をしてください。

その間に、ママは君のスペース作りのために時間を使います。」

「分かった、一時間ね!」

 

交渉はそうやって成立し、ある程度スペースを作り終えた息子を机に促し45分のタイマーをかける。

「はい、タイマー始まったよ!」

 

その間、私は衣装ケースの移動など子供には大がかりなものを重ねたり部屋の隅に寄せたり等々、その場でできる息子の要望に応え作業をした。

息子は散らかった机に向かいながらも漢字のドリルをゆっくりとしたペースではあるが進めている。

 

私の作業は意外と早く終わり、あと残るは30分ほど。

タイマーが鳴るまで息子の勉強を促す。

「あと何分?」

テレビや机に息子が並べた絵の具のボトルに気を取られたり時間を気にしたり、ドリル以外に気を散らしながらも45分のタイマーが鳴るまでは

何度かふらふらと立ち歩いたりしたものの机に向かうことができるようになってはきたな、とそこでも成長を感じたりする。

集中力がないわけじゃないんだな、と少し安堵した。

 

その後は息子のスペースに関する細かいオーダーを聞き、今できることとできないこと、借りているアパートの中でできることなどを話し合った。

 

ほかの定型発達と言われる子供と接する機会は外に出る仕事を減らしたことで増えた分、息子のコミュニケーション能力について考える機会が増えた。

幼児のような抱っこの要求、腕枕や添い寝の要求、朝は狸寝入りし優しく起こされるのを待つなどなど

これはADHDというよりは情緒障害の要素が強いのかも知れないけれど、やはり他の同学年やむしろ年下の一年生の子と比べてしまうと

障害と分かっていても、分かっていてもどうしてなんだろうと思ってしまう事がある。

 

でもふと振り返る。

自分も自分以外をきちんと見ることができていただろうかと。

今丁度、そんな気持ちが負のループに入りそうになっていたりする。

ただ生きるだけでもしんどい。きっと多分ダレでもそうだと思う。

障害を障害として受け入れて、なお痛感するしんどさもある。

 

子供は自分の鏡だと、有り体な言葉がなんだか今日はすごく心に刺さる。

どうしてできないの、は少しずつ封印しよう。

今できることだけを見て明日を生きよう。