痩せますか死にますか

自分を客観視するために書く。昔のこととかADHDの子供との生活のこととか。

学校と通級

子供の在籍校には情緒障害の学級はない。

そのため毎週決められた曜日に指定された学校の教室まで子供を送り届け、1時間半後に迎えに行く。これが結構な労力であったりする。

昼に迎えに行き、バスを乗り継ぐ。子供の足で10分強の道のりを経てようやく教室にたどり着く。

通級で学ぶのは基礎的な学力を養うものの他、ビジョントレーニング、ソーシャルスキルトレーニング(コミュの時間、とも呼ばれる)、体幹を鍛えるための運動などわずか2時間分の授業時間だがかなりのボリュームだ。

そしてその日の学習内容を日誌でやりとりする。在籍校の担任と通級の担当教員と保護者の私とで。

 

学年が上がってクラス替えがあり担任が替わった。

通級に通っていることもあり、春の段階で面談を申し入れたのだけれど断られた。

 

「大丈夫です、○○さんが受け入れられるようなクラス作りを頑張りたいと思います」

 

そうして私は学校と切り離されたと感じ、段々と狂っていく。

学校に行き渋る子供を、今日は行かなくていいよ、と休ませたこともあった。

目には見えない、勉強もできる、けれども。

指示が通らない。みんなとは、どこかが違う。

家庭でプロのような指導ができるわけではない。知識も経験も足りない。裕福ではない。

通級に通うのにもバスを乗り継ぎ、病院にも通い、ペアレントトレーニングにも通い、自分の精神科にも通う。

仕事、といってもアルバイトだけれども、それを辞めてからは特に何をするでもなく無気力になりご飯を用意するだのの最低限のこともおっくうになっていった。

救いはなんだろう、とふと思った。希望とはなんだろう。

 

学校ではその場しのぎの対応を事後連絡をされたので一度、意見を言った。

「みんなが受け入れてくれるクラスを」と言いつつ、他の子とは違うのを可視化するような対応だった。

専用のスペースみたいなものを教室内に設けるといったものだった。

例えば情緒級であれば話は違ったと思う。

けれど他の児童生徒の保護者や当事者である子供の保護者に連絡がないどころか、プロである通級の担当教員にすら事前相談がなかった。

結局ソレは1週間も持たずに運用することはできなくなったらしい、という話は子供本人から聞いたのみで担任からの連絡は一切ない。

それはいったい何のためのものだったのか、と電話があった際に尋ねたところ「申し訳ございません」と謝罪された。

私は謝罪を求めたわけではないのだけれども。

 

スクールカウンセラーとの面談もしたが、困ってます、といったような内容の話し合いで終始した。

 

学校での困ったことを家庭に相談、ではなく押しつけられたように感じはしたな、と思った。

家では盗癖やら暴力やらワガママやらで手一杯なのにこれ以上どうしろと。

学校に対する不信感を拭うことができないまま夏になり、私の体調は悪化していく。

 

子育てをしていて思うことは、仕事と違って報酬がわかりやすい形ではないことが落ち込みの原因なのだとは思う。それが障害児であるなら、なおのことだ、と。

宿題はできない、忘れ物ばかりだがメモを取ることをしないので何を忘れているのかも把握できない。把握しようとすると反発がある。

 

権利ばかり主張して、と言われがちではある立場だと自覚はしている。

けれどこの閉塞感はどうやったら抜け出せるのか。