壊れていく経過
目には見えないけれど身体は痛い
しばらく、家庭内暴力がややもすると酷い、という状態だった。
要求が通らないためのかんしゃく→暴力という流れができてしまっていた。
盗癖が出てきていて私も相当過敏にはなっていたと思う。
(盗癖についてはまた別の機会に書きます)
できないことにいちいち「なんでこんな当たり前のことができないんだ」と本人が一番気にしてる事柄で責め立てる。
できないから障害なのだ、というのは分かっている。知っている。
それでも横柄な態度、私を召使いかのように扱う態度。
「このテレビが終わったらお風呂に入ろうね。」
たったこれだけで一波乱起きる。
やだ、もっと見ると過集中+こだわりではじまるかんしゃく。
放っておけばそのままテレビを見続けたりゲームをやり続けたり。
だから放っておくわけにもいかず、お風呂だよと最初は優しく声をかける。
そのうち、今日はいい。面倒だからいい。と言い始める。
お風呂に入らないデメリットをコンコンと説明したり、お風呂に入ったらオヤツを食べてもいいよなどとあの手この手で指示を聞いてもらう工夫をしたりした。
それで返ってきたのは提示した報酬の過剰な要求。
そして冒頭のかんしゃくへ繋がりそれがいつしか暴力へと変わっていった。
スルーして自分だけ風呂に入り眠ることも試したりはした。
しかしその手では自分を無視された、と感じるのかモノを持ち出してきての暴力に発展させるものだった。
金具のついた木材を横になる私に振り上げる。驚きとっさに腕で顔をかばうと嘲笑される。かわいいはずの子供は悪魔にしか見えなかった。
そこが以降の暴力化への流れ始めだったように思う。
毎晩のように言い合い、かんしゃくを起こした子供は泣きながらも私の身体を全力で蹴り上げるようになった。
暴力を振るわれまいと小さな要求に関しては無抵抗で受け入れご機嫌を伺う日々が続く。お願い、という要求の言葉から、しろよ、買えよ、と脅迫めいたものになっていった。
そんなある日、腕に当たった蹴りがクリーンヒットし打撲した。
偶然当たったのであればそれは「気をつけてよ」で済むハナシだったのだけど、その時もやっぱり私を「蹴り」「ダメージ」を与えることが目的で、それによって要求を通そうとするための暴力。
いつものように「いたっ!やめてよ!!」とか言えなくて、痛いんだけど。ねぇ。と言った。
返ってきた言葉は「買ってくれないママが悪い」。あっそう、といって私は寝た。
しばらく起きていた子供はもそもそと布団に入ってきて「ごめんね」と何度も繰り返した。ごめんねって言ってるのになんで許してくれないの?と泣きながら更に蹴りを入れてきた。
もうこのまま部屋にいたら殴ってしまうと思ったので外に出て行った。出て行くんだ、ふーん。という声が背中に聞こえた。
酒やらタバコやらを買い込んできて一人で勝手に飲み始めた。なにかごちゃごちゃ聞こえたけれどそれを耳に入れる余裕はなかったので何も聞こえなかった。
もうどうにでもなればいいと思い始めたのもこの頃だった。
私が激昂することはなくなった
翌日の夜も「アレがほしい」「コレをしろ」と色々要求され出したご飯は不味いとボイコットされる。
ご飯を下げたあとには「何か面白いことないかな~」と文句をぶつけられた。
その5分後には子供はテレビを見ながらねぇ、ねぇと笑顔で話しかけてくる。
昨日蹴られた腕が痛む。順序立てて切々と説教するような余力も襟首つかんで怒る気力もなくなっていた。
「ねぇ、なんで無視すんの?」
と不機嫌そうに尋ねられる。だから私は答えた。一言、腕が痛い。と。
「だからごめんっていったじゃん!」まだ怒ってたの?なんで許してくれないの?と子供は続けた。
「・・・あのさぁ。痛いんだよね。分かる?目には見えないけど蹴られたから痛い。コレ、怪我させたんだよアンタ。謝ってこの痛いのは治るの?今は怒ってるから話したくない」
いつもより低い声で目を合わせずに自分の気持ちを口にした。子供は静かになった。
体調もおかしくなっていった
子供が学校で問題を起こす、そのたびに電話はかかってくる。謝罪に向かったり謝罪の電話を入れたり、行事に参加できなさそうだからと何時間か話し込んだりする。
していたアルバイトへ行く気力はなくなってしまった。
この子は私からすべて奪っていくんだな、と思うようになっていく。
「なんでこんなことができないんだ」「約束を守れない」「ものを欲しがるくせに大事にすることを知らない、お金をドブに捨てさせる気か」
そんななじり言葉しか口にできなくなっていた。そんな状況で子供からは暴力込みのワガママ。学校では扱いきれてないです、みたいなことも言われる。
胃が食べ物を受け付けなくなり、背中がジンジンと痛むようになってきていた。
夜は何度か起きては子供が寝てることを確認してはまた眠る。
常に吐き気がしてとてもじゃないけど楽しいことを考えることなんてできず、外に働きに出ることもできなかったが昼間怯えることなく眠ることだけはできた。
寝てばかりいる私を、子供はゴミだと言い出したりもした。
私はいったいなんなんだろう。別に私なんていなくてもいいんじゃないだろうか。
だんだんとそう思うようになっていった。
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