痩せますか死にますか

自分を客観視するために書く。昔のこととかADHDの子供との生活のこととか。

無理をするorしない

頑張るというのは一体全体どういうことなのかイマイチよくわからない。

無理をすることなのか。

一生懸命に取り組むことなのだろうけどイマイチピンと来ない。

頑張り方が分からない三十路ってのも残念ながら存在するのだ。

 

営業時代は「走りながら考えろ」なんてよく言われた。

数字を取るためには何をすればいいのか常に考えることが頑張ることだ。

頑張れば結果はついてくる、と。

人の気持ちに必要以上に(また時には方向性まで間違って)共感してしまう質で

それが長所でもあり短所でもあると思う。

半端なソレが仇となり一向に数字が伸びることはなかった。

 

頑張れない要因の一つに自立心がまったくないことがある気がする。

まったくない、というか依存心が強すぎるというべきか。

家庭板のまとめブログなんか読んでると、自立心のなさと依存心の高さと攻撃性は

年を食えば成熟していくものなんかではなくて

むしろ年を食えば食うほど腐敗してより酷くなっていくものだと見せ付けられる。

 

精神病のように寛解、みたいな概念ではなく生まれ持ったものや環境において形成されて

治る治らない矯正できるできないとかそういった問題ではないように思う。

 

 

そんな訳で頑張れないことを人に分かってもらいたいと不埒なことを考え

なおかつ共感し合いたいという酷く低俗なことばかり考えているのだ。

 

ところで私には子供がいる。バツイチである。

頑張らないとある種意固地にすらなっていると思いはする。

頑張る方向性が人から見て正しいのかどうか、ということが気になって仕方がない。

間違っていたらと思うと穴を掘ってでも埋まりたいしそんな思いはもうしたくない。

身近に、頑張る方向性があさってな方向に向いている宗教どっぷりな人間がいたからだとも思うが自分の生き方を人のせいにするような幼稚な自分にはこの先いいことなんて一つもないようにも思う。

「あんたも頑張って信心しなさい!」

と言われていたのだけど、「え。頑張るってなんだよ」って疑問は

「真摯という言葉を調べなさい」

と調べさせられたことで終わった。私に足りないのは真剣に取り組む姿勢が足りないんだ、と言われた。

足りないのはわかってるから具体的にどうすれば機嫌を損ねられず相手をしてもらえたのかは教えてはもらえなかった。

(今思えば宗教の中のランクを上げることがそれに当たることだとも思うが、空気を読んで読経して霊能者を目指せってことなのだけどそれは私が求める真摯な生き方ではなかったのだ)

 

好きなことにも全力投球して抜け目なく仕事して昇給を目指していつかたくさんのお金と安定した生活を営むことは理想といえば理想だけど全ての人にそんな体力があるはずもないと思ってる。

体力と集中力、できることなら両方欲しかった。