依存症治療プログラム
某都立病院に行きました。
初診で1時間ほど話を聞いてもらい治療方針を立ててもらいました。
まず、処方薬依存も出ているので(マイナーの安定剤に対して)それを減らしていくこと。
そして自助グループに参加すること。
この2点でした。
そしてさっそく自助グループを探すことにしたのですが
処方とは言え薬物依存のグループを見つけるのは難しかったです。
結果的に二日ほどかかりましたが、無事に見つけることができました。
そして初参加。
アルコールホリックの人達の会に参加させてもらいました。
その日はテーマに沿ってそれぞれ発言していく、というもの。
重たい話や施設に入所中の人の話もあり、自分の問題と照らし合わせると押し黙らざる得ないような心持ちに。
週に三日は通う場所ができたのですが、風邪を引きました。
一人で風邪を引くと、しんどいですね。
友人知人が遊びに来てはくれましたがロクなおもてなしも出来ず。
今日はバレンタインでとても天気がいいので洗濯をしました。
洗濯物がとても少なく、これもまた、何だか寂しくなる一因です。
バレンタインデーも近かったのでお菓子箱一杯に送りつけました。
バレンタインデーといえば、お菓子を贈りつけても文句を言われないデー。
なので子供の面倒を見てくれている実家に箱詰めぎっしりになるであろうものを楽天でチョイスして送りつけました。
金額にして5000円強。中々の出費。
(自分で百貨店行って買いに行く交通費を考えると送料なんかも安いもんだな、と思います。)
家族用にお菓子詰め合わせと、妖怪ウォッチの飴とチョコ。
(キャラものはどちらも可愛い缶入り)
これと、
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これと。
貯金箱になってるのが可愛くてついつい。
こっちが、家族用で買ったのだけど…いま思えばなんで名古屋にしたんだろう。
多分・・・私も食べたかったんだろうな。(爆)
そうしたら電話がかかってきて。
「こんなにたくさん?!」ってかかってきました。
私は現物を見ていないので、
「え?そんなにたくさん?!」
というヘンテコなやり取りに。
そしてまた久しぶりに子供とも通話。
今度は自分宛に送ってよね、とのことでありました。
(兄妹宛に送ったので)
また早く子供の顔が見られるように、今日一日を頑張りたいなぁと思います。
※ちなみに少し風邪を引きました。
一日何もできず寝込んでショウガの入ったスープを飲んだりビタミンC摂ったりしたらかなり良くなりました。
子供と数ヶ月ぶりに会いました
大きくなっていました。
中学年らしくむちむちとしていつも何か楽しいモノを探してる、そんな元気いっぱいの姿でした。
会っていない期間は3ヶ月。
私の入院中2ヶ月強のうち
1ヶ月は児童養護施設に行き、もう一月は実家と自宅とを往復するような形だったようです。
そして先週先々週の間に実家側の小学校への転校の手続き、国民健康保険の加入など役所関連の手続きをしてもらいました。
その間に前のエントリーにも書きましたが、父が倒れ帰国し入院。
やっと自分も、掃除をしたり洗濯をしたり布団を干したり、という日常活動ができるようになってきました。
PZCというメジャートランキライザーの薬の力を借りて、ですが。
そしてかかりつけのメンタルクリニックから紹介状をもらい、大きな病院へと転院。
依存症治療の初診が今週中にあります。
一体どんな治療なのか、まったく想像がつきません。
ADHDとアスペルガーの友人から聞いた話
そして各人共にIQが非常に高い。140とか。
アスペルガーの友人は言っていた。
「アスペはな、金がかかるんだよ」
ADHDの友人はこう言っていた。
「落ちつきなくても目標地点定めれば一直線に進んで結果を出せるから」
IQのさして高くない私(ADD気味、後にWAISの結果についてエントリー書きます)が導き出した答えは
如何にコストをかけずに稼ぎ出すか、ということだった。
子供にはお金がかかるから。ましてADHDであるならば尚のこと。
そしてHPレッドゲージの父は年金暮らしで日本へ帰国、そして手術。
そして依存症治療が必要な私。
お金は有り余ってなんてない、まして私は生活保護者だ。
自分の生活を保ちながら子供に支援できるようになるための最短距離とは一体何があるのだろうか。
今まで色々なものに依存してきた。
アルコールやタバコはもちろん、ギャンブルも身を崩さない程度に。
そして快楽に、人に、本に、買い物に、編み物に、布に…数え上げたら切りが無い程だ。
こうしてブログを書くことも依存の一つかも知れない。
そういった依存のバランスを上手に取りつつ友人達は豊かな生活をきちんと送っている。
私のメンターを見つけた気がした。
子供と電話で話をしました。
子供と電話で1時間話をしました。
もう2ヶ月以上も会えていませんが、色々と話をできました。
急に会えなくなってごめんね、クリスマスもお年玉もあげられなくてごめんね。
そう泣きながら話したり、妖怪ウォッチの映画も一緒に見たかったな、一緒に行けなくてごめんね、とも話しました。
新しい学校の事や実家での出来事を色々と話してくれて、ふいに子供は言いました。
「なんだ、ママやっと泣いたの終わった?」と。
心配ばかりしていたのに心配されてしまって、母には
「ママって泣き虫なんだよ」って言っているみたいです。
そんな感じの電話でした。
会えなかった分を少しは埋められたなら、ヨシとしよう。
そう、前向きに考えるようにしました。
そして事態が少し急変、父親が海外単身赴任から病気のため急遽帰国したのです。
私も三十路で父親も還暦を少し過ぎたあたりで、母は
「お父さんも身体がボロボロなんだよね」
と淡々と電話で話をしてくれました。
前立腺をやってしまったようで手術が必要になる可能性があるそうです。
私は、というと依存症治療のための病院に転院することになりました。
そして生活保護を単身世帯で受ける再申請をしました。
二人世帯から単身世帯になるため、引っ越しを余儀なくされそうですが、子供のモノをそのままにしておきたいので引っ越しはあまりしたくありません。
恨む気持ちはありませんが、新任教師というものに随分と人生を狂わされたと思っていますし
元夫が単身で生活保護を受けていたときに、そろそろ脱却できそうな就労ができはじめたときに子供を投げて寄越したこと等、なんだか色々考えてしまいます。